和傘

和傘とは

和傘とは竹、木、糸といった自然素材を使用し、日本で昔から伝えられている「伝統技法」で作る傘です。
日本国内で伝統的な作り方で製作している傘だけを和傘といいます。
「和傘」という名前は明治頃からの呼び方で、それ以前は「唐傘」(からかさ)と呼ばれていました。
昔は頭にかぶる「かさ」の事を「笠」と呼んでいました。
「傘」と「笠」を区別するために「傘」の一文字で「からかさ」と呼んでいました。
「からかさ」と呼ばれるようになった訳は次のような理由が伝えられています。

・唐(から)の国から来た傘なので「からかさ」
・手で持つ柄(がら)の付いた傘なので「からかさ」
・開閉できる「絡繰り細工」(からくり)の傘なので「からかさ」

日本で最初に確認できる書物として「日本書記」(720年)があります。
このころの傘は木の棒に布を張った天蓋(てんがい)のようなもので、開閉することができず、開いたままの
ものでした。
欽明天皇(509年~571年・古墳時代)の頃で、552年に百済の国から仏像や経典などとともに「蓋」(きぬが
さ)が贈られた。という記録が残っています。
文献以外でも4世紀末~5世紀初頭の古墳や調度品に「蓋」(きぬがさ)が描かれています。
空から降りかかる邪気(じゃき)から大切な人を護るために考えられ、王様や貴族、僧侶、神官などだけが使
える権威の象徴でもありました。

和傘は、中国から伝来した「天蓋」が起源です。日本には6世紀頃に伝来し、当初は貴人の権力の象徴として使用されていました。
安土桃山時代にハジキという部品の伝来により、自由に開閉できる和傘が誕生しました。また、この頃から庶民の間でも傘が使われるようになり、江戸時代中期以降には分業制の発達により、一般の人々にも手頃な価格で和傘が普及するようになりました。

和傘は、単に雨具としてだけでなく、装いにアクセントを付けるファッションの小道具としても用いられ、様々な技巧やデザインを凝らした和傘が生まれました。また、歌舞伎や日本舞踊、茶道などにも取り入れられ、それぞれの伝統美を付加した独自の進化を遂げました。

現在、主な和傘の種類としては、以下のようなものがあります。

・番傘:太い竹の骨に和紙を張った素朴な雨傘
・蛇の目傘:小骨に5色の糸で飾りを入れた細身の雨傘
・日傘:雨傘とは異なり、和紙に油を引かずに張った傘

和傘は、日本の伝統工芸品として、その美しさや技術が世界中から高く評価されています。

ハジキの始まり
16世紀末頃の作と言われている「職人尽絵」(喜多院所蔵)に傘職人が製作する和傘が描かれています。そ
の中の和傘は横棒でなくハジキで固定されていることが分かります。
安土桃山時代に納谷助左衛門によりルソンから持ち帰り、伝来した傘は、ハジキを使った和傘であり今に至る
までこのハジキで固定する方法が使われています。
その後、和傘を固定する「ハジキ」や傘の骨を束ねる「ろくろ」などの部品の開発や、紙・竹細工の技術が発
展していきました。一般の人々に広まったのは江戸時代半ばになってからです。(諸説あり)
傘が開閉できるのは今日では当たり前に考えられていますが、実は非常に高度な構造を有しており、数ある工
芸品の中でも和傘ほど複雑に変化する機構を持っているものは、そう多くはありません。
現在、作られている一般的な和傘には「番傘」「蛇の目傘」「日傘」「舞踊傘」「差し掛け傘」「野点傘(朱
傘)」があります。
傘骨に張った和紙に植物性油を引き、防水したものは雨傘として使用され、
雨傘の種類として「番傘」と「蛇の目傘」があります。
日傘は油を引かずに和紙だけを張って作られています。
骨の数は36本、40本、44本、46本、48本、54本と傘の種類や用途によって変わりますが、
骨の内側に和紙を細かく畳み込むために多くの傘骨が必要となります。
「番傘」と「蛇の目傘」は雨の日に、「日傘」は晴れの日、「舞傘」は舞台や踊りの際に使われる傘です。開

いて傘、閉じて竹。傘をたたんだ時に一本の竹の姿に見えることが和傘の美しさの一つです。
「差し掛け傘」はお寺や神社などで使われます。
「野点傘」は屋外で催される茶会で茶室を演出するために使われています。
庶民が雨具として使ったのは被り笠(かぶりがさ)と蓑(みの)でした。
傘が庶民の間に広まったのは江戸、元禄のころ。人々が装いを楽しむようになってからです。
和傘が広く一般に使われだしたのは分業制の発達した江戸時代中期以降のことで、
江戸の浮世絵にも傘をさしている町人の姿が多く見られ、生活必需品として広く普及していたことがうかがえ
ます。
また、和傘はただの日常品としてだけではなく、装いにアクセントを付けるファッションの小道具でもありま
したので、美しさも兼ね備えるよう様々な技巧やデザインを凝らした和傘が生まれました。
和傘は歌舞伎や日本舞踊、茶道の中でも取り入れられ、それぞれの伝統美を付加した独自の進化を遂げ、他国
に類を見ない非常に豊かな、我が国固有の和傘文化とも呼ぶべき土壌を作り出していきました。

和傘の持ち方
和傘を持ち歩く際には頭のほうを握るように持つか、蛇の目傘なら頭についている紐を、番傘なら頭に止めて
ある革紐をお持ちください。

・雨傘(番傘・蛇の目傘)の開け方
雨傘は防水の為に植物性の油を和紙の表面に施しています。そのために油で開けにくい場合があります。
中の手元ロクロの下部を軽く持ち、上に押し上げてゆっくりと丁寧に開けてください。

・雨天時に雨傘を使用した場合
傘を傘立てに立てる際や、持ち歩くときも和傘と洋傘では真逆です。
和傘は先端に水が溜まるのを避けるため、必ず先端部分を上にして取り扱います。
上部で竹骨をまとめている頭轆轤(ろくろ)の繊細な部品が雨水で濡れて劣化しないようにするためです。
雨の日に使用した後は、水切りをした後に、傘を中開き、または全開にし、日陰に干してください。
※雨で濡れた傘を布でふき取りますと、和紙をいため、劣化を早めることになります。
乾いたら傘はゆるめに閉じ、風通しのよいところにお仕舞いください。
買ったばかりの状態で、締輪(形を整えるための輪)も外さずしまい込んでしまうと、傘の寿命を短くします
。締輪をはずし、傘をゆるめて、風通しのよい所に保管してください。

・和紙の色の変化について
雨傘は防水の為に植物性の油を和紙の表面にほどこしています。
そのため、油の特性により時を経ていくにつれ、うす黄色から亜麻色へと色づいていきます。
特に白い和傘は使い込むほどに深みが増し、味わいのある色へと変わってまいります。
和傘の強度には影響はございません。
自然素材ならではの特性をお楽しみいただきたく存じます。

和紙は西暦 610 年ころ、朝鮮の僧より製法が伝えられました。
その後、 平安時代には、薄くて強い和紙を作る技術も発達、日本独自の製法が生み出されたのもこのころです
。 和紙は世界の紙と違う、しなやかで強靭な紙へと飛躍を遂げました。
「和紙」は日本独特の原料である楮(コウゾ)や三椏(ミツマタ)を用い手漉きで作られた紙です。
天然の植物繊維を、漉くことによって繊維を絡ませることができるため、強靭で保存性に富んでいます。
辻倉で使用する和紙は楮(こうぞ)を原材料として、原料の処理から加工までをすべて手作業で行うことによ
り、
丈夫な紙になります。
特に紙漉きの工程は「手漉き」(てすき)にこだわり、伝統を守り継いできた職人の手で 1 枚 1 枚、しっかり
と 漉き上げています。

和傘の骨は一本の竹から作られています。
番傘の骨作りは太い竹を縦半分に割り、さらに40~50本に割り分けます。
分けた竹の並び順がわかるように、目印を付けておきます。
次に、竹骨を隣り合うように組み立てていきます。
並び順を保つことにより、傘を閉じた時に元の竹に近い、美しい円柱の形になります。

「轆轤(ろくろ)」とは、傘の骨をつなぐ要の部品です。エゴノキという木から作られています。
和傘の開閉する際に上下に動く重要な部品です。

傘を開いたときに固定する部品です。
蛇の目傘では2段階になっていて、人ごみを通るとき、狭い路地を通るとき、風が強いとき、雪が降っている
ときに積もらないようになどで傘を狭めて使うことができます。
番傘では多くは1段式です。

洋傘と和傘の違い

和傘に対して私たちが日頃よく使っているのは「洋傘」です。
洋傘は金属製の骨組みに、木綿、絹、ナイロン、ポリエステルなど防水加工された布を使用しているものが一
般的です。
和傘は竹の力で骨と和紙を支えており、傘を畳んだ際に、骨の内側に和紙が自動的に細かく畳み込めるように
なっています。
これは洋傘が骨の針金の張力で生地を内側から押し上げて開くのに対し、和傘は細く割った多くの竹骨で和紙
を支えるようにして開く為です。その為開いた時のシルエットが洋傘は丸みを帯びて深いアールを描くのに対
し、和傘はすっきりと末広がりに真っ直ぐに広がります。
生地の畳み方も洋傘は生地を骨の外側に巻きつけるように畳むのに対し、和傘は生地が骨の内側に畳みこまれ
、まるで1本の棒のような独特の姿になります。

和傘の種類(番傘・日傘/舞傘・蛇の目傘)

和傘の種類には「番傘」「蛇の目傘」「日傘」「舞傘」などがあります。
傘骨に貼った和紙に植物性油を引き、防水したものは雨傘として使用され、雨傘の種類として「番傘」と「蛇の目傘」があります。

蛇の目傘を改良して、庶民がもてるように作られたのが番傘です。番傘の持ち手は竹のままを使用し、素竹の良さをいかしたシンプルで少し太めの和傘です。
番傘の名前の由来は諸説ありますが、商家では店の者が使用し、大きな商店ではにわか雨のおりに貸すために屋号の印や、「子(ね)の十五番」などと番号を入れ、それが番傘とよばれたとも言われています。
また、18世紀初めのころに大坂の大黒屋が大黒天の印を押して「大黒番傘」を売り出しました。
その後、印や判を入れた傘を「伴傘=番傘」となったとも言われています。
これが江戸に伝えられ、丈夫で値段の安いことから庶民の間で大いに流行し,大黒屋傘の名で全国にひろまり、江戸に下って番傘とよばれました。
元来、紙が厚く、骨竹の削りが粗く、荏油(えのあぶら)を引いたもっとも安価な傘です。

■番傘の特徴
番傘の特徴としては、次の点が挙げられます。
・骨組みが太くしっかりとした重厚感ある作り
・持ち手が太い竹
・無地の和紙で、内側の小骨は装飾もなくシンプルな作り
シンプルな作りの上、傘を開くと放射線状に広がる均等に配置された骨組みが竹の美しさを一層引き立てます。
辻倉では従来の白だけではなく、色和紙や柄の和紙を使い、新しい感覚を取り入れた番傘も製作しています。
骨組みは竹、そして芯棒にも太い竹を使用し和紙には植物性の油を引いて雨や雪の日に使用できる雨傘です。飾り気はなくシンプルな作りが魅力的な和傘です。
頑丈で骨太な容姿は、力士の名入れ傘や、料亭の名入れ傘としてもよく使用されています。

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和日傘、日傘として使う少し小ぶりの和日傘です。
骨組みは竹、芯棒には木や竹のものがあります。

和日傘は安土桃山時代から使われるようになりましたが、高貴な人しか使うことができないものでした。
江戸時代、徳川四代将軍家綱(1673~1681)の頃からは一般の人が使い始め、様々な色や絵柄のものが多く作ら
れました。
和日傘の中には「一色張り日傘」「絵日傘」などがあります。
「絵日傘」の中には「手描き」「切り絵」「型染め印刷」などがあり、職人たちが技術を競いあうようにして、花
鳥風月や伝統柄など美しい傘が多く生まれました。
番傘や蛇の目傘とは違い、防水のための油引きの加工をしていませんので、雨の日には使えませんが、
和紙本来の色や型染和紙や友禅和紙の華やかな模様を楽しめます。
日差しは和紙を通すとやわらぎ目にも心にも優しい和の日傘です。
手すき和紙は楮(こうぞ)の繊維が光を分散させる効果があり、日差しをさえぎることができるものとしてご使
用いただけます。

■舞傘について
舞傘は、和紙だけではなく、絹が貼られている絹舞傘があります。
舞傘は名前の通り舞台などの踊りに使用されています。

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蛇の目傘とは傘の真ん中に輪を入れた模様の傘をいいます。輪の模様がヘビの目のように見えるため、「蛇の
目傘」と呼ばれるようになりました。現在では輪の模様が無いものでも細身で傘の内側の小骨に糸で装飾した
雨傘を総称して「蛇の目傘」と呼ぶようになりました。

江戸時代八代将軍吉宗(1716~41)の「元禄文化」のころに生まれ、柄(え)を細くした軽い傘が好まれ、最初
のころは医者や僧侶などが使っていました。
「蛇の目」は魔除けとして、邪を破る、幸運を招く。という意味があります。
大切な人を「護ってくれるもの」として蛇の目傘が作られました。
蛇の目傘の小骨と呼ばれる細い骨に「千鳥がけ」「糸かがり」と呼ばれる糸飾りが施されています。
この糸は補強の意味もありますが、もとは五色(赤、青、白、黒、黄)の色糸で編み込まれていました。
五色というのは古代中国の「五行思想」からなり、南に「赤い朱雀」、東に「青い青龍」、西に「白い白虎
」、北に「黒い玄武」、真ん中に「黄色い麒麟」があります。
この五つの色で糸飾りをすることで、中の人を守ってくれる。と言われています。
黒(紫)は学業、赤は感謝、白は規則・義務の達成、黄は人間関係、青(緑)は成長 の願いがあります。
大切な人を護れるように。と願いを込めて作られたのが「五色の糸かがりの赤い蛇の目傘」でした。
七五三や成人式、結婚式など人生の節目で「この子の人生に災いが降り掛からないように、幸せに一生を過ご
せるように」と願いを込めて贈られました。

昭和初期から中期ごろ、和傘製作は分業で行われていて、工程ごとに様々な技術が生まれました。
「模様継ぎ」「切り継ぎ」「文化仕上げ」「模様傘」「羽二重蛇の目傘」など職人さんの技術が光る和傘が生
まれました。

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大傘は大きく分けて「軒(傘骨の先端)が真っすぐな大傘」と「軒が折れ曲がっている爪折傘(つまおれがさ)」
があります。爪折傘は親骨、小骨も曲がっています。
軒爪の違いは使う人の地位などによって決まっていました。
軒爪の折れていない大傘では「台傘」や「道中傘」と呼ばれる花魁道中(太夫道中)の傘が知られています。
軒部分の折れ曲がっている傘を「つまおれ傘」(妻折傘、端折傘、爪折傘)「朱傘」「野点傘」といいます。
江戸時代では爪折傘は特別なものとして、使用が許される位の人が決められていて、公家、従四位より上しか使
えませんでした。
野点とは、屋外(野)で茶を点(た)てて、楽しむことです。
約 500 年以上前に豊臣秀吉によって行われた九州平定の際に、同行した千利休が野外で茶を点てたこと
が始まりだと言われています。
同年茶人のノ貫(へちかん)が朱色の野点傘を立てて茶室を演出したことで茶会を催した秀吉を喜ばせ、
それ以降、野点傘は野点に欠かすことができないものとなりました。
戦国時代が終わり江戸時代に入ると、野点は益々盛んに催されるようになり野点に欠かすことができない
紅色の緋毛氈や野点傘の需要は高まります。
屋外で行われる茶会である野点は、茶室の中で行われるしきたりを重視した堅苦しい茶会ではなく、
自然の美しさを楽しみながら茶を楽しめることから人気の茶会で、日本庭園や景色の美しい公園などで
頻繁に行われています。
現在では、観光地の茶屋の装飾として広く用いられると共に宮中茶会に代表される野点にも野点傘は用いられ
続けています。

野点傘には大きく分けて二種類あります。
妻折 野点傘
もともと貴人や高僧へ差し掛けるための傘を大きくした形で、人を傷つけないよう爪を折っ
た(傘を開いた骨の先を内側に湾曲した)姿が特徴です。
内側には魔除けを意味する五色の糸でかがられており、糸によって骨のつながりを強化し、
傘全体を支えることによって、骨の破損などの場合に貴人を傷つけることを防いでいます。
北野大茶湯において丿貫(へちかん)が豊臣秀吉を喜ばせた傘は妻折傘です。
本式 野点傘
1952 年(昭和 27 年)に皇太子成年を祝う茶会を催した当時の裏千家淡々斎宗匠により考案されました(御園
棚も同時に考案)。
日常の番傘をほぼそのまま大きくした形で、傘を開いた骨の先はまっすぐに伸び、かがり糸による装飾はありま
せん。

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